来たる2022年6月17日、立命館大学ゲーム研究センターによる2022年度第3回定例研究会をオンラインにて実施いたします。発表者は、Moore, Keita C.氏です。登録・参加料不要となっております。お誘い合わせの上、奮ってご参加のほど、お待ちしております。
タイトル:ファミクライシス:ファミコンが浸透した時空間を考える
発表者:Moore, Keita C. (ムーア恵多 C.), 日本学術振興会外国人特別研究員、立命館大学ゲーム研究センター客員研究員
日時:
6月17日 18:00-
場所(ハイブリッド):
On Site
- 立命館大学衣笠キャンパス 学而館研究会室3 Ritsumeikan Kinugasa Campas, Gakujikan Reserch Room 3 http://www.ritsumei.ac.jp/accessmap/kinugasa/
Online ( ZOOM )
- https://ritsumei-ac-jp.zoom.us/j/94790726287?pwd=eGVWbko2c0ljemd6VWwwTFRYejAvQT09
- ミーティングID: 947 9072 6287
パスコード: 826652
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概要:
本発表では、テレビゲームの家庭への浸透を社会史的観点から考察する。発表の中心となるテーゼは、ゲーム消費の具体的時空間が、ゲームクリエイターと社会全般との間に多面的交渉を生み出してきたということであり、このような交渉の矛先はプレイヤーやプレイのあり方のみならず、デジタルプレイの時空間的構成にも向けられる。テレビゲームと時空間が相互作用する延長線上において、テレビゲームに特有の一定のポリティクスが駆動する、というテーゼである。
このテーゼを探求するために、1980年代全体に及んだ任天堂ファミリーコンピューターと家庭という時空間との交渉についての言説を分析する。この分析によって、いわゆる「悪影響論」やファミコンを肯定的に評価する言論が、プレイヤーとゲームの間で完結するものではなく、両者の交渉の場であった家庭もまた大きく関与していたということが浮き彫りになる。初期ゲーム批評がプレイの実相を「内容・意味」の消費よりも、時空間を要するプロセスとして捉えていたことも明確になる。
80年代の批評家たちはこのようなゲームの捉え方を採用し、肯定的であれ否定的であれ、ファミコンによるプレイを子どもの時間という枠組みにおいて分析した。たとえば、ファミコンのプレイを子どもの生活リズムを整えるためのスケジュールと併置する言論に顕著であるように、プレイとスケジュールとの相補性もしくは衝突性こそが言論の中心軸であった。本発表では、これらの言論を取り上げつつ、相補性に内在する半ばネオリベラリズム的な価値の内面化への要求や、反対に子どもがゲームに熱中する際に生じる生活とゲームの衝突を家庭の時間に位置づけることにも言及する。
同時に、「家」という空間構成がゲームにまつわる言説にどのような役割を果たしたのかを検討する。「勉強部屋」という子どもに割り当てられた固有のスペースにおけるプレイは、両親の観点から見て子どもの内面が不透明になっていくという懸念を生み出した。つまり、ファミコンがいわゆる技術的なブラックボックスであったとすれば、子どもの個室および子どもの主体性もまたブラックボックスとなったのである。
発表の後半では、これらの時空間におけるポリティクスはいかにゲームに反映されたのかについて考察する。そのために、『ドラゴンクエストI』(エニックス: 1983)と『マザーI』 (任天堂: 1989)の時間的構造および空間表象を分析することで、両者ともに80年代の子どもの生活における時空間のポリティクスに関与し、「子どもの時間」について問題提起を行っていることを浮き彫りにする。